「自意識の高い」文章を求めて テキストサイトブームの時代

 

 

 ネットに文章を書いて公表すること、今では当たり前になってしまったことだが、ちょっと前までは参入障壁が高く、かっこいいことと見なされていた。ネット黎明期である1990年代後半から2000年代前半にかけて、日記やコラムを主に扱うテキストサイトと呼ばれるサイトが一大ジャンルを形成していた。最近ではニコニコ生放送がそれに相当すると思う。

 

 ぼくがネットを始めたのはブログに流れが移行しつつも、テキストサイトの残り香がまだあった時代で、世の中にはこんなにおもしろいものがあるのか、と貪るように深夜にネットサーフィンしては、睡眠不足で授業中に寝る高校生活だった。書き手ではなく単なる読者という立場だったが、思春期時代から「テキストサイト」的なものに影響を受けたせいで、20代になった今でもその影を何となく追ってしまう。

 

 

「正体不明の衝動」が文章を書かせた

 

 

電気サーカス

電気サーカス

 

 

 

 

 テキストサイト全盛期から10年以上経過したが、当時の空気感を描いた小説が出版された。『電気サーカス』(唐辺葉介著、KADOKAWA)は、週刊アスキーで連載していたのをまとめたもので、480ページある作品だ。前口上で主人公がテキストサイトを書き始める動機について述べた部分があるので引用する。

 

 僕にはためになる専門知識もなければ、紹介したくなるような可愛いペットもいない。カッターナイフで手首を切るといったような体を張った芸も持ち合わせておらず、世間に打ち出したくてたまらぬ燃えるような情熱に満ちた主義や主張も存在しないのだ。

 

 なんてことだろう!心の中に、伝えたいことが、なにもないんです。なのに何かしら書きたい、書いて全世界に公開したい、という正体不明の衝動だけが燦然と心の中に輝いている

 この部分が一番端的に当時の管理人の思いを表現しているのではないかと思う。テキストサイト一般に書かれていた内容は、最近のブログのような政治に関するものや仕事に関するライフハックでもない。言ってしまえばどうでもいい身の上話であり、そうでなければ馬鹿らしいネタがほとんどだった。荒削りな文章で誤字も少なくなかったが、それでも背後に強い衝動が感じられて勢いがあった。

 

 『電気サーカス』ではサイトの管理人がオフ会を繰り返し、シェアハウスまで始めて交流を深める様子が描かれる。あの人は実は~といった噂話や、誰と誰がつながっているという情報が共有される面倒な人間関係模様もリアルだ。シェアハウスにサイト運営者でもある女子中学生を連れ込み交際をしたり、脱法ドラッグを使用したりとやりたい放題で、そういえばマジックマッシュルームなどが流行った時代だった。

 

 登場人物のほとんどが若く学生やフリーターあたりがメインで、精神的な不安定さを抱えている。オフ会などリアルでのコミュニケーションで忙しくなると、サイトの更新が滞っていく描写は、本当にそうだったんだろうという気がする。確かにブーム終了に向かって、管理人同士の交流が増えている印象があった。

 

 

 

簡単につながれる時代

 

 完全に過去のものとなったテキストサイトだが、再興を求める声はたびたび出ていて、最近でも2ちゃんねるVIP板

VIPでテキストサイトブームをまた引き起こそうぜまとめ - VIPPERの作ったサイト

 のような取り組みもある。しかし、ブログがありSNSが充実して動画サイトもある現在、当時のような盛り上がりからは程遠い。何より、ネットサービスの発達により承認欲求が簡単に満たせるようになったことが、要因として大きいように感じる。

 

 趣味の仲間はツイッターで簡単に見つけられるし、そこからLineに移動して込み入った話までできる。テキストサイトのようなサイトを開設して、鬱屈した思いをネタに昇華させる必要はもはやなくなった。コミュニケーションへの餓えが駆動していた表現は、簡単に他人とつながれるようになったことで消失したのだ。

 

 テキストサイトの提供者は激減したが、「テキストサイト的」コンテンツの需要はあり、企業によって運営されている。テキストサイトの要素を、大きく分けてネタ企画と自意識の2つの要素だとするならば、ネタ企画の部分をビジネス化したのがデイリーポータルZだ。ライターの顔は出てくるがもちろん文章校正は入っていて、強烈な自意識を感じさせる文章はほとんどない。

 

 一時は自意識を感じさせる文章を求めていろいろ探し回ったが、ブログは短文の投稿がメインでどこか物足りない。「カッターナイフで手首を切る」人々はいるが、画像ばかりでバックグラウンドが読み取れないからおもしろみに欠ける。はてな匿名ダイヤリーはまれに良質な文章が転がってるので、テキストサイトと多少傾向は異なるもののこれがまだ救いだ。

 

 テキストサイト再興は難しいにしても、ヒリヒリするような自意識にあふれた荒削りな文章がたくさん読めるブームが、何らかの形でまた起こればいいと思う。